もがろぐ

思考と趣味、ときどき日常

ラーメンが認められない

「ラーメンが嫌いだ。」
いやラーメンという料理が嫌いなわけではない。普通か嫌いかで言えば普通だし、誘われればラーメンを理由に断ることはない。食べに行く。ただ既に味を知っているラーメン屋に一人で入ることはほぼない。それは僕が求めているラーメンとラーメンに携わっている人達(提供する側消費する側問わず)が追い求めているラーメンに大きなギャップがあるようで、なかなか求めるものにありつけないからだ。

スープが命

テレビや雑誌に声が載っているラーメン評論家を自称する人達は、皆口を揃えてラーメンはスープが命だと言う。なんかもう口裏合わせる取り決めでもあるんじゃないかと思ってしまうぐらい揃ってだ。やれスープを一口飲めばその店の実力がわかるだのラーメンは麺料理ではなくスープ料理だの、とにかくスープが全てらしい。ラーメン屋側も似たようなものだ。うちのこだわりの豚骨スープ、〇〇時間かけてじっくり煮込む秘伝のスープ、、、

僕はそれに物申したい。ラーメンはやっぱり麺料理だと思う。食べるのは麺で、スープは味付けの役割を果たしてくれればそれでいい。
思うに、努力の方向性が違う。 日本には既に数多くのラーメン屋がひしめき合い互いにしのぎを削っている。(17年時点で3.2万軒らしい。数字で見るとかなり少なく感じるが…)
このラーメン屋飽和状態の時代において新規開店する場合、何か売りになるものを設定する必要がある。ここで何を売りにするかが問題なのだ。自分の店だけの強みを作ろうとスープに麺に具材に様々な試行錯誤を施すだろう。しかしスープを追い求めるのと麺を追求するのとでは少し気持ちの持ちようが違う。自論の重要な根拠が憶測でしかないのは大変申し訳ないが、スープのほうが華やかで楽しい努力だろうと思う。豚骨にするか魚介系にするか、エビにしようか煮干しにしようか混ぜてみようか、隠し味に何を入れようか…
ラーメンのスープを改良する研究は華やかなものである。ラーメン屋が「スープにこだわってます!スープを味わってほしい!」というのは就活生が「学生時代ボランティアを頑張りました!途上国の子供達と触れ合い、日本の豊かさなどを実感し視野が広がりました!」と言っているのと同系統なわけだ。
対して、麺を工夫するのは地味だ。粉の比率や水の分量を様々試して口当たりやスープの絡まり具合を理想のものに近づける。何かちょっと変わった具材を入れてみようかといった奇抜な発想はお呼びでない。スープと同じ例えを使えば、ラーメン屋「食感とコシが自慢の自家製麺を味わってほしい。」が就活生「地道に自分の分野の研究をして何度か学会発表しました。」と同じということだ。
こういう泥臭い努力をこそ貴びたい。

僕の求めるラーメン

スープと麺について話してきたが、一旦置いておこう。僕の食べたいラーメンについて先に話しておかなければここから先が続かない。
僕の求めるラーメンは麺の美味しいラーメンだ。モチモチした食感のやわらかい太麺が好きなので、「麺は固めで」なんて注文する人の気が知れない。

現状ラーメン屋は街中至る所にあるわけだが、それでも新しいラーメン屋が開店するところをよく見かける。そのたびに新しい味が開発されており、日進月歩ラーメンの味は進化していっているのだと思う。しかし世間の理想のラーメン像はスープばかりが輝いたものであるため、ラーメンが進化していってもスープばかり変わっていき僕の理想に全く近づく気配がないわけである。

  • 僕自身が麺を味わうのが好きなこと。
  • 麺を改良する泥臭い努力のほうが崇高なものであると思っていること。

この2つのことをもとに僕のラーメンに対する不満は成り立っている。

屈した

僕はこのラーメンに対する意見(不満)にある程度の自信を持っていて、広く訴えかければ共感してくれる人もいるだろうと思っていた。しかし以前友人にこの話をしたところ「でも努力と味は比例しなくない?」と言われてしまった。全くその通りである。

たしかにそうだ。味が大事なのであってどんな努力をしたとか普通に考えたらどうでもいい。至極どうでもいい。楽して作った美味しい料理と手間暇かけて作ったいまいちな料理なら、美味しい料理のほうが選ばれるのは当然の話だ。努力は味に関係ないだろうといわれてしまえばぐうの音も出ない。斯くして僕の意見は誰に話しても凡そ支持されることはないだろうということに気づいてしまった。とりあえずその後人に話すのはやめることにした。

でもそうはいっても僕が求めるのはやっぱりこれなのだ。僕の求めるラーメン像と世間のラーメン像に大きな隔たりがあって、自分が圧倒的マイノリティであることを考えればラーメン屋が僕の理想のラーメンを作ってくれる可能性はとても低い。僕一人の理想を叶えたところで利益は微々たるものであるからだ。上に述べた2つの根拠のうち単純に麺を味わいたいという方向でなら同志はいると思うが、それでもどうやら少数派であることには変わりがない。つまりこの不満はきっと解消されることはない。ラーメンを自作する気もないし作ってもらえるはずもないので、もう諦めた。
そんなマイノリティな僕は、隅でひっそり不満を表明するのだ。
「ラーメンが嫌いだ。」