もがろぐ

思考と趣味、ときどき日常

気をつけていること

以前こだわりはかっこいいという話を書いた。

こだわりってかっこいい - もがろぐ

かっこいいかは置いておくとしても、みんな何かしらの自分ルールを持っていたりするんじゃなかろうか。僕にもある。

僕にはいくつか自分に課している制約がある。

そのうちの1つについて話そうと思う。

僕の自分ルール、それは

「きもい」「うざい」「死ね」この3つの言葉は一生使わない

というもの。

中学1年の冬に心に決めてから今まで守れているし、今後破るつもりも破棄する予定もない。

なぜこんな決まりを作ったかというと、元々は親の教育。

僕は一人っ子なのもあって割と甘やかされてきたと思うのだけど、子供のころ母から口うるさく言われたことが4つある。

「面倒を理由にするな。」
「時間を上手く使え。」
「席を立つときは後を見ろ。」
「綺麗な言葉を使え。」

の4つだ。

僕としては歯磨きをもう少し口うるさく指導して習慣付けさせて欲しかったが…

なんにせよこの4つが母の方針だったようだ。


面倒を理由にするな

このうち1つ目は成功だった。自分でもありがたい教育だったと思う。

嫌なことがあればやらなくてもいいが、その理由に「面倒くさい」だけは使うなというものだった。

子供が面倒に感じるのは勉強や家事だが、やりたくないがために面倒以外の理由を探すと勝手に周辺環境が整っていくのだ。

「〇〇が△△だから嫌だ。」という言い訳はそれが改善されたり仕方ないことと納得させられたら次は使えない。

同じようにして言い訳を探していくとどんどん厳しくなっていく。最終的に言い訳を探すのが面倒になって結局やった方が早いなと考えるのだ。

今となっては何をするにも面倒のめの字も頭に浮かばなくなった。

ある種のストイックさを自分に生んだ教えだ。


時間を上手く使え

2つ目は見事に失敗した。

ここまで時間にルーズな人間もいないだろうと自分でも思う。

直さないといけないとも思っているし何かに遅刻するたびに反省はしているのだけど、一向に改善される気配がない。

血は争えない。開き直るのはよくないけど、たぶん死ななきゃ治らない…


席を立つときは後を見ろ

3つ目は忘れ物があまりに多い僕に母の提示した解決策だ。

プールの授業の日に水着を持って帰るのを忘れた時、今から取りに戻れと締め出され真夜中の小学校に泣きながら取りに行ったことが何度かある。

そう、何度かあるのだ。そんな痛い目に遭っておきながらまた忘れるのだ。

ちなみに真夜中なので警備員さんに鍵を開けてもらわないといけない。

本当に忘れ物癖がひどかったのでそんな教えが生まれた。

少しは改善された。


綺麗な言葉を使え

4つ目が本題だ。

端的に言うと貧乏がばれないように綺麗な言葉を遣いなさいってことだった。育ちが出るのは言葉遣いだと考えたらしい。

そう教えられた子供の僕はまぁ納得した。綺麗な言葉遣いを身につけなさいと言われて、いやそれはおかしいとはならない。

しかし納得したからと言って実践できるかは別問題。

幼少期僕「綺麗な言葉遣いってなんだどうすればいいんだ。」

まぁそうなる。

そもそも言葉を多く知らない子供が綺麗な言葉かどうか判別する目を持っているはずがなかった。

そこで僕は逆に考えた。

綺麗な言葉遣いというのはよくわからないけど汚い言葉ならわかる。これを使わなければよいのではないか。

そこで当時周りの友達が使っていた言葉で、これは汚い言葉遣いだろうと思った前2つの言葉を使わないでおこうと考えた。

3つ目はついで。後で追加した。

さてそうして3つの言葉を使わないと決めたわけだが、決めたところで別に元々使っていたわけでもないので今までと特に何も変わらない………わけでもなかった。

これが案外効くのだ。

この3つの言葉を使わないと決めた時から、使っている人が目につくようになる。

友達と会話しているとき、あるいは自分が参加していない会話でも、その3つの言葉が耳に入るとビクッとなる。

その言葉はよくないよと相手に言ったことはないしその言葉を使ったからといって見る目を変えたこともないけど、耳に入るたびに「自分は使うまい」と考えるのだ。

「自分は使うまい」と考えるということは、その縛りの元である”綺麗な言葉遣い”を意識することでもある。

自分の周りで誰かがその3つの言葉を使うたびに”綺麗な言葉遣い”が自分の意識に上がるわけだ。

習慣というのは意識する回数を増やすことで身につく。

成長し多くの言葉を知ると同時に言葉を選別する目も養われ、一日に何度も意識することで自然と綺麗な言葉遣いというのが身についていったように思う。

何を以て綺麗な言葉遣いというのかは正直今でもわかっていないが、言葉遣いに慎重な姿勢が身についたのはいいことだと思う。

また最近は言葉遣いは男でも出来る化粧のようなものかもしれないなと感じている。

親から整った顔は貰えなかったけど化粧の仕方は教えてもらえたかなと。



ここまで綺麗な言葉遣いを心がけていると書いたが、一つ例外(?)がある。関西弁だ。

僕は関西に住んだことないのに、ないからこそかもしれないが、なぜか関西弁がとても好きなのだ。

なのでエセ関西弁をよく使う。(ちなみに文頭に「なので」を置くのは誤り)

関西弁が汚い言葉とは思わないが、綺麗な言葉と言われると疑問符がつく。

どうなんだろう、関西弁。