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コスパの話その2:王道とコスパ

コスパの話全3編


王道とは

「王道」という言葉には2つの意味がある。

  1. 仁徳に基づく政治。儒家の理想とする政治思想で,孟子によって大成された。対義語に武力を以って国を統治する「覇道」。
  2. Royal Roadの訳語「王の道」。「一番近い距離を進む直線の道」を表す言葉。転じて「安易な道」「楽な道」を意味する。

正攻法、セオリーやありがちなベタな展開といった意味で使っている人が多いと思うが、実はそれらの使い方は誤用なのだ。

とは言っても、日本語の意味は移ろいゆくものだしいずれ正しい意味として認められるであろう使い方を誤用だ御用だとあげつらう気はない。

今回の本題はそこではない。

ここでは仮に王道という言葉を正攻法という意味で使うとしよう。

「平均的なレベルの大学を受験するなら、数学は青チャートが王道だ」といった具合だ。

言いたいこと

結論から言うと「王道」と「コスパの良い道」が=で結ばれると思う。

この記事で言いたいのはこの一文だけだ。

王道というのは多くの人が選ぶ道だ。なぜ多くの人が選ぶのか。それが通りやすく早く目的地に着くからだ。これはそのままコスパが良いと言い換えていいのではなかろうか。

正攻法が正攻法たり得るのはその方法が素晴らしい方法だからではない。その方法で成功した人が幾人もいるからだ。

「理系で浪人するなら駿台予備校がいい。それが王道だ。」というのはその方法で成功した多くの例があるからだ。

同程度の勉強量を費やすにしても駿台なら河合より点数を上げられるという旨の証言(体験談)があるからだ。同じだけの勉強量(コスト)で点数(パフォーマンス)が高い方法ということはコスパの高い方法と言い換えられるだろう。

王の道

ここからは本題であるコスパの話とはあまり関係ないが、今ちょっと考えたことについて書いてみる。

僕は王道というのは多くの人が通り踏みしめた結果土が固まってできた道ではないかと考えた。

辞書を引いて出てくる2つ目の意味Royal Roadの訳語「王の道」とある意味似ていてその実かなり違う。

「王の道(Royal Road)」とは、紀元前6世紀頃から紀元前4世紀頃まで存在していたアケメネス朝ペルシアに建設された、古代の公道のことである。
当時からすればとても利便性の高い大公道であり、迅速な交通と通信を実現したという。

王の道の語源は調べてもわからなかったが、十中八九単純に王様が作った道だから、すごい道だからといった理由で違いないと思う。

しかし僕は王道(王の道のことではなく言葉としての王道のこと)は王道として生まれたのでなく多くの人が通った道、使った方法だから王道と呼ばれるに至るのだと考える。

なんだかこの因果の逆転が言葉の意味の変容とリンクしているような感覚を覚える。

まぁ違うものについて言っているので逆転も何もないのだが。

とりとめのない考えをぶちまけただけで歯切れが悪いが本題ではないのでここで終わってもよしとしよう。