もがろぐ

思考と趣味、ときどき日常

統計の勉強をしている

ブログを書け

はてなブログからメールが来ていた。前回のブログ更新から1ヶ月経ったがそろそろ次を書かないかね?とのこと。

普段全く使っていないアドレスに届いていたので、本来なら目にすることなく無数の迷惑メールに埋もれるはずであったメールだが、いくつかの偶然が重なり目に入ったのでせっかくなので従ってみることにした。

 

特にネタを用意したわけではないので、ただの日記代わりの記事になる。

 

最近やっていること

タイトルまんまだが、統計学の勉強をしている。

 

実習前の教養試験を終え勉強から一応解放された今、なぜまた勉強しているのか。それも統計学

 

なんでやろな。

 

自分でもよくわからない。

 

勉強し始めた当初は何か理由があった気もするが思い出せないということは大した理由でもないのだろう。

 

とはいえ流石に何の意味もなくただ漫然と勉強するほど阿呆の名を欲してはいない。一応目標と目的はある。


目標は統計検定と専門統計調査士という資格試験。

 

目的は…就活(?)


民間資格なのだが、統計検定という英検の再従兄弟のような試験を実施している団体がある。2つともそこの資格だ。

 

就活のためとはいっても、内定獲得に覿面に役立つとは思っていない。

 

しかし履歴書の白を僅かでも減らせれば無駄ではないだろうし話のネタの候補にぐらいはなるかと思った。

 

履歴書を埋めるだけなら何の資格でもよかったはずだが、なぜ統計学に至ったのかは忘れた。

 

統計学って強い

いざ勉強してみると、これがなかなか奥深い。

 

統計学というのはなんとなくを数字にする学問だ。

 

例えば何かしらのペーパーテストを受ければ「今回の試験は難しかったな」とか、「平均点が低いわりに自分はいつも通りの点数だし順位上がったかな」などと様々なことを感じ取ることが出来る。

あるいは宝くじは期待するだけ無駄だというのも皆知っている。

 

誰でもなんとなくでは知っているのだ。そのなんとなくを、期待値や分散を出したり、有意水準を定め検定を行ったりすることで相手を納得させる言葉に昇華させる。  

全員の点数を足して人数で割るのだって立派な統計学だ。

「全体的にこっちのグループの方が優秀だよね」とか「いやそんな変わらんくない?」とかふわふわ話をしているところに「p値0.05下回ったから有意差~(略)」と無慈悲に数字をぶつけるのが統計学なのだ。

ふわふわ陣営からすれば反論しようがない。空気読めよぐらいしか言えない。

学問としての統計学

統計学は学とついているし一応学問であるが、文学、法学、工学、理学、経済学などとは少し毛色が違うように思う。

上の5つの学の後に”部”を付けてみるとわかりやすい。文学部、工学部、経済学部は日本中どこでも総合大学を覗いてみればゴロゴロ見つかる。

しかし統計学部というのはあまり聞かない。滋賀大学にデータサイエンス学部という学部があり、それが統計学部に相当するらしいが他にはどうやらなさそうだ。

これは統計学が道具に徹した学問だからではないかと思う。修めて何かを生み出そうという学問ではなく、感覚に惑わされないようデータから特徴を抽出しまとめ、扱うデータごとにその都度解釈がぶれないよう基準と手法を定める。これが統計学の役割だと思う。

実はデータを統計学の知識をもって処理したとて特に驚きの結果が出るわけではない。結論はふわふわ陣営の直感と同じなのだ。

先述の例でも検定の結果有意差があるといえると言っているだけで結局1人目と結論は一緒だ。

しかし圧倒的に強さが違う。同じことを言っているのにその言葉の強さが段違いなのだから、使えれば自分の言葉の説得力が跳ね上がることは容易に想像できよう。

ここまで実学であることに前のめりな学問は他にないように思う。

なぜ統計学を勉強しだしたのか自分でもわからないとか上で言ったけど、間違っていなかったと思う。これは役に立つ。どんな分野に進んでも役に立つ。